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東京地方裁判所 昭和43年(刑わ)5432号 判決

主文

被告人を懲役二年六か月に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

第一  (新宿駅の騒擾事件関係)

一  騒擾発生に至るまでの経緯と共同意思の形成

被告人は、横浜国立大学教育学部の学生であって、全日本学生自治会総連合中核派(以下「中核派」という。)に所属していたものである。中核派を始め、全日本学生自治会総連合革命的マルクス主義派(以下「革マル派」という。)、社会主義学生同盟学生解放戦線派(以下「ML派」という。)、社会主義青年同盟国際主義派(以下「国際主義派」という。)、社会主義学生戦争派(以下「フロント派」という。)、プロレタリア軍団などの学生運動組織は、かねてから昭和四三年一〇月二一日のいわゆる国際反戦デーにおける闘争方針を摸索していた。そして、遅くともその前日ころまでには、ベトナム戦争反対運動の一環として、当時国鉄新宿駅を経由して行われていた米軍用ジェット燃料輸送を阻止するため、当日の夜、新宿駅周辺で集団示威行進を行った上、駅構内を占拠し、列車等の運行を妨害するなどして駅の内外を混乱に陥れるとの方針を確立し、機関誌、ビラ等により自派に所属あるいは同調する者らにその趣旨の徹底を図っていた。前記のような各派の企図に同調する多数の学生らは、一〇月二一日東京都内の数箇所に集合し、被告人も、同月夕刻、千代田区神田駿河台の明治大学旧学生会館前付近における合同集会に参加した。これらの集会において、各派の指揮者らは、多数の学生らに対し、前同様同日の闘争方針を一層周知徹底させた。集会に参加した学生らの大半は、自派の標識のあるヘルメットをかぶり、角材、旗竿等を携行し、あるいは投石用の石塊を収集するなどして、午後七時すぎころから順次国鉄新宿駅東口広場に集結し、集会、集団示威行進を繰り返した。東口広場においても、各派の指揮者らは、警備の警察部隊を暴力をもって排除してでも駅構内に侵入してこれを占拠した上、是非とも米軍用ジェット燃料輸送車両の運行を阻止すべきである旨を再三演説し、各派集団の気勢を高揚するとともに、東口広場を埋め尽くした七〇〇〇名を超える群衆に対しても、闘争への参加、支援を訴えた。多数の群衆もさかんに歓声をあげ、各派集団が示威行進を行った際に、その集団に追従する者も出るなどして、各派指揮者らの呼び掛けに同調した。ここに、東口広場に集まっていた各派学生らの間に多衆共同して警備の警察部隊を暴力で排除してでも駅構内を占拠して列車等の運行を妨害すべきであるとの意図が形成され、集まった群衆の間にもこの意図が浸透するに至った。

二  騒擾

東口広場に集結した各派の学生運動組織のうち、中核派とML派の一部は、午後八時四五分ころ、東口広場西側の新宿駅ステーションビル付近から通称大ガードの方向にかけての新宿駅東口側に巡らされた障壁を壊そうとして一斉に角材でたたくなどし始め、国際主義派やプロレタリア軍団などの学生らもこれに加わった。午後八時五二分ころ、障壁の一部が破壊されると、その破壊口から、各派の学生らが新宿駅構内に次々と侵入した上、それぞれ自派の標識のある旗や角材などを携えて線路上を駅のホーム方向に進み、警備の警察部隊に対し、線路上の砕石を拾って一斉に激しく投石した。午後九時すぎころには、革マル派、フロント派の学生らも加わり、これによって駅構内に侵入した者の数は、各派学生らと群衆を合わせ三〇〇〇名を超えるに至った。これらの各派学生らと群衆は、入り交じりあるいは所属の組織ごとに隊列を組むなどして、ホーム上や線路上を行進し、その大多数が警察部隊に対して一斉に激しく投石し、停車中の電車、各ホーム上の運転事務室、各種掲示器、信号施設等に対し、手当たり次第に投石し各材でたたくなどしてこれらを大量に破壊し、ついに警察部隊を各ホーム上から構外に退避させてこれを排除した上、駅構内を完全に占拠した。ある者は、新宿駅南口階段にバリケードを築き、あるいはこれに火を放つなどして、警察部隊の進出を阻止した。このようにして、新宿駅を中心とする国鉄の列車、電車等による輸送業務を妨害した。この間、新宿駅周辺、特に東口広場、中央口広場においては、構内における学生らと群衆の行動に同調する群衆が多数集まり、指揮者が構内の学生らと群衆の行動を報告すると、歓声をあげたり拍手したりなどしてこれに応え、あるいは新宿駅ステーションビル南側貨物線路近くに駐車して採証活動中の警視庁テレビ中継車を横転させ、これに放火するなどして気勢をあげ、また、新宿駅付近の商店等の窓ガラス、シャッター、ネオンサイン、看板等も多数破壊した。さらに、態勢を立て直した警察部隊が駅構内に進出して検挙活動を開始すると、これに対しても激しく投石した。そして、少なくとも翌二二日午前一時ころまでの間、駅構内及びその周辺において、前記のような暴行を繰り返した。

以上のようにして、国鉄新宿駅構内とその周辺地域一帯を混乱に陥れ、多数の警察官、新宿駅職員、乗降客のほか、新宿駅周辺の住民、商店街の従業員らに対し、極度の不安と恐怖を与えて騒擾をした。

三  騒擾における被告人の行為

被告人は、同月二一日午後八時五〇分ころ、中核派の学生らが前記新宿駅東口側の障壁を破壊する際、手を振るなどしてこれを指揮し、自らも他の学生らとともに角柱をもって鉄塀を突き、多数の学生らとともに同駅構内に侵入した上、石を持ち、中核派の学生ら多数の先頭に立って前進し、同日午後九時二五分ころ、約二〇〇名の学生集団が第一ホームに上がり、第二ホーム上で多衆の排除、検挙に当たっていた警察官に対し、投石した際、笛を吹き、手を振ってその行動を指揮し、同日午後九時四二分ころ、自ら多数の学生らとともに第二、第三ホーム間の線路上から第二ホーム南口階段付近で同様の任務に従事中の警察官に対し投石して暴行を加え、さらに、同日午後一〇時ころ、第一ホーム東側線路上において、中核派の学生ら約一〇〇名の集団の先頭で笛を吹き、かけ声をかけるなどしてその進退を指揮し、よって、多衆の威力を用いて新宿駅構内を占拠して国鉄の輸送業務を妨害し、かつ、警察官の職務の執行を妨害するとともに、騒擾に際して人を指揮した。

第二  (国鉄代々木駅及びその付近における威力業務妨害罪関係)

被告人は、同日午後六時三〇分ころ、前記のとおり、国鉄新宿駅内外において米軍用ジェット燃料の輸送阻止闘争を展開するため、約七〇〇名の中核、ML派集団及び約一〇〇名の国際主義派集団とともに同駅付近に赴く途中、順次国電で東京都渋谷区一丁目三四番地国鉄代々木駅構内に至り、一斉に下車して、同駅第二、第三ホーム間の線路に降り立ち、同所において右各派学生らとともに通過する電車等の運行を不能ならしめて線路上を国鉄駅構内に向かおうと企て、右各派学生らと共謀の上、大半がヘルメットを着用し、角材を携行した各派集団とともに線路上一杯に隊列を組み、「米タン粉砕」などとかけ声をかけ、あるいは闘争歌を合唱するなどして気勢をあげ、引き続き国鉄新宿駅構内第一ホーム北端付近まで貨物線路上、あるいは旅客線路上を前同様気勢をあげながら行進し、前記両駅の職員から再三にわたり構外へ退去するように要求されたにもかかわらずこれに応じないで線路上に滞留し、前記両駅構内における電車等の進行を不可能にし、そのため、このまま電車等を進行させれば事故の発生を免れないとの危惧の念を抱いた代々木駅予備助役佐野新一、新宿駅予備助役大柴敏雄ら両駅の運転関係職員の連絡、指示などにより、被告人らの排除完了に至る同日午後七時ころまでの間、両駅構内及びその付近において電車八本、旅客列車一本、貨物列車一本を停止させたほか、その後続電車等を周辺各駅構内等に停止させ、もって、多衆の威力を用いて国鉄の輸送業務を妨害した。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)

一  罰条

第一の行為のうち

騒擾指揮の点 平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「改正前の刑法」という。)一〇六条二号

威力業務妨害の点 改正前の刑法六〇条、二三四条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法二三三条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号

公務執行妨害の点 改正前の刑法六〇条、九五条一項

第二の行為 改正前の刑法六〇条、二三四条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法二三三条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号

二  科刑上一罪の処理

第一について 改正前の刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として重い騒擾指揮罪の刑で処断)

三  刑種の選択 いずれも懲役刑を選択

四  併合罪の処理 改正前の刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(重い判示第一の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で加重)

五  未決勾留日数の算入 改正前の刑法二一条

六  刑の執行猶予 改正前の刑法二五条一項

七  訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

本件は、昭和四三年一〇月二一日に発生したいわゆる新宿騒擾事件である。

被告人らは、自分達の政治目的を実現するため、暴力に訴えて混乱を引き起こしたものであるから、被告人らの行為は到底容認できるものではない。犯行態様は、計画的、組織的であり、被害も、検挙等に当たった多数の警察官に傷害を負わせ、国鉄や付近の商店等に多大な被害を与え、新宿駅内外を大混乱に陥れており、悪質な犯行である。被告人自身は、代々木駅付近で各派の学生らと共謀して列車の運行を不可能にした上、新宿駅付近で中核派の集団の指導的立場として騒擾を指揮した。加えて、被告人は、昭和四六年一〇月の第六五回公判以降出頭せず、長期間にわたって逃走したことなどを考え合わせると、その責任は重いというべきである。

しかし、他方、本件犯行後約二九年もの歳月が経過し、本件自体が既に歴史的事実となり、社会的に見て処罰の必要性が矮小化したことは否定できない。長期間にわたり逃亡したことについても、被告人は、平成九年三月に至り、本件の裁判を受けるため、収監を求めて自発的に検察庁に出頭している。その他被告人が犯行時少年であったこと、前科がないことなどの有利な事情も認められる。

以上の諸事情を考慮し、被告人に対しては、主文のとおりの刑に処した上、その刑の執行を猶予するのが相当と判断した。

(裁判長裁判官 出田孝一 裁判官 大圖玲子 裁判官 岩崎邦生)

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